キハ181の記録(さよなら181)
これまで4回にわたってお送りしてきた「キハ181の記録」。
今回は最終回となる「さよなら181」をお送りします。非公開映像など満載。
12月23日を最後に一般旅客運用が終了し、団体列車で余生を過ごすことになったキハ181系。
そして新年が明け、祖母の家から帰ってきた1月4日。7両が幡生へ向けて旅立ちました。
今回の編成は特殊なもので、最後尾はキロ2両で、編成が
キハ181-26+キハ180-78+キハ180-40+キハ180-79+キハ180-45+キロ180-4+キロ180-12でした。
残念なことに最後に乗車したキハ180-40も、この回送で幡生行きになってしまいました。
キハ180-40、最後に思い出をありがとう。そして、さようなら…。

1月5日。残されたキハ181系が寂しく留置されていました。
この車両、実はキハ181-12です。サボなどが外されていたことから「運用はないな…」と思っていましたが、このあと後藤へ
回送されて国鉄色復元整備が行われ、津山の扇形機関庫で保存されることになりました。
これ以降、団体臨時列車でキハ181-47・48、キハ180-36・77が使用されましたが、私は撮ることができませんでした。
平日の昼間にして、その時期は受験の関係で謹慎中だったので…。
実はある目的のために、今年のお年玉はすべて貯めていました。
噂でラストランがあるとのことだったので、それに向けて貯めていたわけです。
キハ181系ラストランツアーの詳細・申し込み時間が発表され、発売日に申し込んだのですが予約がなんと成功。
さらに父から支援金が支給され、楽に行けるようになりました。
申し込みが完了したのでそれに向けて受験勉強をとにかく頑張り、無事合格。そして謹慎解除。
A4編成の廃車回送で一気にテンションがダウンしながら、その日が来ました。
2月26日。キハ181系の「ラストステージ」がついに始まりました。
しかし、私は胸やけと格闘しながらツアーを満喫することになります・・・。
ツアーに参加するためいったん改札を出てからツアー配布品や弁当をもらって再入場し、ホームへ。
キハ181-48の代わりにキハ181-49が入っていましたが、私は5号車、キハ180-36に乗車。
そして7時28分。京都ー米子間、約7時間の長旅の始まりです。
大量に押し寄せた撮影者を車内から見送り、保津峡、亀岡などを通過。
日吉駅到着の段階でなぜか胸やけの痛みが完治しているのがわかり、自然治癒力でもあるのか?と思う私。
そして豊岡、佐津を過ぎ、山陰本線最大の名所を人生初体験!
餘部橋梁を通過。眼下に雄大な車窓が広がりました。
餘部を初めて通った私。さらにキハ181系で行けたのはよかったな。

東浜にて撮影。人が多すぎて微妙な感じでしたが、まあ撮れただけでも幸いでしょうか。

鳥取。わずかの停車時間でしたが、ここでも多くの撮影者が出迎え、ツアー客も撮影していました。

そして浜村に到着。
先端部へ行ったのですが、こんなふうにしか撮れませんでした。というわけで…

後ろへ行ってみた結果がこんな感じ。
ケツ打ちですが、ようやくまともな写真を撮ることができました。

次の停車駅、青谷。
これで先頭からもまともに撮ることに成功。これで一安心…。

青谷であまり見ることができなかったら屋根上のラジエーターを撮影。
初めて見ましたけど、これはすごい…

最後の停車駅、由良では新旧はくと同士の並びが実現。
編成写真は狙うも「藻」のような物体が写ってしまったので今回は割愛。
そして「ありがとうキハ181系」号は7時間の長旅を終え、米子駅に到着。
米子のファンたちの歓迎を受けながら…。

キハ181が洗浄台線に入ったため撮影は無理と思っていましたが…EF64とキハ181と大山のコラボ。
こんな写真も撮っていたんですね。写真をあさっていたら見つかった奇跡の1枚です。

米子駅に近い留置線に来たので撮影。キハ181-49側。
今回のツアーに入ったことで、一気に撮影枚数が増えた気がします(苦笑)

反対側も。やはりヘッドマークがないと寂しいですね…。

夜にもう一度。こうして駅照明に照らされるキハ181系というのも私にとってはやはり新鮮です…。

キハ47の普通が入ってきたので3本並びを。
元同僚たちに囲まれるキハ181は何を思う…。
そしてホテルに戻り、11時半に寝て6時に起床。
キハ181系の最後の1日が始まりました。

米子で朝を迎えたキハ181系。薄暗い空の下…。
そしてしばらくすると作業員がキハ181系のもとへ。
床下で何をしているのだろう…と思った次の瞬間!
ダダダ、ダダダ、ダダダダ、ダダダダ、グォォォォォォン!
という音とともにキハ181系のエンジンが始動。そして副票を取り付けて貫通扉を閉めた瞬間に発電用エンジンが唸りました。

そしてアイドリング。
凄まじい爆煙を天に吹きあげていました。

アイドリングもドア開閉試験も終わり、準備完了!
そして私は離脱。

米子駅に入ると驚愕の光景が…。
末期色の115系食パン電車とキハ181系の対面でした。

米子駅停車中の「ありがとうキハ181系」号。
米子だけで大量に撮影したため、これで格闘する必要性はほとんどなくなったわけで…。
そして7時55分。キハ181系の最終運用、列番9014D、「ありがとうキハ181系」号、京都行きが米子駅を発車。
警笛を鳴らしながら突き進み、泊に到着。

泊ではあまり撮る気がなかったので適当に。
そして鳥取、浜坂を過ぎ、いよいよキハ181系車両として最後の「餘部鉄橋」通過!
日本海側に雄大な景色が広がりました。これはすごい!
餘部を過ぎて佐津を発車、豊岡に到着。
豊岡ではスタフを公開してくれたり運転台を見せてくれたりとサービス満載でした。
八鹿では屋根を観察したりして、和田山でお茶を買って…船岡に到着。

船岡。かなりきれいに撮れて、さらに迫力もあります!
これはいい場所でした。
そして徐々に京都の町並みが見え、京都に到着。
京都でもかなりの撮影者が集結し、シャッターを切っていました。
最後に警笛を鳴らして発車。追いかける途中でキハ181系を抜かし、向日町で撮影。
これでキハ181系の旅客運用が終了し、ついに完全引退となりました。
そして…「ありがとうキハ181系」号が運転されて約1カ月後の2011年3月24日。
最後の大役を務めたキハ181-49、キハ180-22、キハ180-77、キハ180-49、キハ180-36、キハ181-47が、ついに
「旅立ちの日」を迎えました。
最後は廃車回送らしく、蛍光灯むき出しで来るのかと思っていた予想は見事に外れ…

なんと特製ヘッドマークやサボ、方向幕を装備し、運転されました。
最後の最後に特別装飾が施されたキハ181-49以下6両。現場の方々にも愛されていたことがこれでよくわかりました。
キハ181-49、キハ180-22、キハ180-77、キハ180-49、キハ180-36、キハ181-47、いろんな思い出をありがとう…。
24日(木)は、塚本下り勾配を鈍足で通過したため、あまり迫力はありませんでした…。
翌日に控える正真正銘の「ファイナルラン」では、是非フルノッチで来てほしいと願うのでした…。
これで残るは6両。24日にムコソを見たとき、すでに方向幕などが抜かれた哀れな姿で留置されていました…。
3月25日、私が最も好きだったキハ181-48、キハ180-42、キハ180-48、キハ180-41、キハ181-45、キハ181-27も
ついに「旅立ちの日」を迎えました。
最後の廃車回送ではこれで形式消滅するキハ181系を撮影しようと大勢の撮影者が各駅・沿線に集結。
各駅では別れを惜しむかのように警笛を鳴らし、14時32分、大阪駅を発車。
そして私を含めた多くの撮影者が待つ塚本の手前の淀川の鉄橋を出る直前、キハ181系の姿が見えると同時にヘッドマークが
見え、フルノッチ走行であると分かる音が聞こえて…
最後のキハ181系6両がフルノッチで塚本駅を通過。
最後の最後に先頭を務めたキハ181-48。特製ヘッドマークが装備され、さらにフルノッチ走行。
この時はいつも以上に輝いて見えました。
最後の最後に先頭を務めたキハ181-48、そして何度も撮影出来たキハ181-27。
この「はまかぜ」末期の定番タッグで最後の走行を務められた彼らはラストランには充当されなかったものの、幸せものでした。
キハ181-48,27、いろんな思い出をありがとう。そして、さようなら…。
-あとがき-
2010年6月。なんとなくキハ181-22を撮ったのが私がキハ181系を追いかける長い9か月のスタートでした。
最初は特に愛着なんかなかったのに、撮影している間にいつの間にかキハ181系の虜になっていた私。
外観の優雅なデザイン、巨大なラジエーター、車外では大きい音がしているのに車内では騒音をほとんど感じず、
心地よいディーゼルサウンドしか聞こえない圧倒的な静粛性、あの勇ましい加速時のサウンド、さらにフルノッチでの凄まじい
サウンド、そして最近の新型気動車では絶対にない、いいにおいのする排気ガス。これらはキハ181系最大の魅力でした。
エンジンもデザインも、何もかもがよかったキハ181系。そんな魅力が詰まったキハ181系を本当の意味で好きになったのは、
運用最末期になってからでした。
そういう思いの結果、最後のキハ181系ラストランツアーでは「撮影」ではなく「乗車」を選択。
あまり長い間乗ることができなかった私にとっては最後に15時間も乗れたこと、そしてエンジン始動を見物出来たりしたことは
本当によかったな、と感じています。
ラストランでは乗車してDML30HSのサウンドを心行くまで堪能し、さらに最後の廃車回送もちゃんと見送ることができた私。
今になって「キハ181系という車両と出会えて本当に良かった」と思っています。
キハ181系を追いかけた9カ月はあっという間に過ぎ去って、気づけばもう終わってしまいました。
最後の特製方向幕の「栄光は永遠にキハ181系/Is the glory forever Series181」には本当に感動しました。
キハ181系の数々の栄光は、残された2両の保存車が後世に、永遠に語り継いでいくことでしょう。
キハ181系、長い間本当にありがとう!そして、さようなら…。
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今回は最終回となる「さよなら181」をお送りします。非公開映像など満載。
12月23日を最後に一般旅客運用が終了し、団体列車で余生を過ごすことになったキハ181系。
そして新年が明け、祖母の家から帰ってきた1月4日。7両が幡生へ向けて旅立ちました。
今回の編成は特殊なもので、最後尾はキロ2両で、編成が
キハ181-26+キハ180-78+キハ180-40+キハ180-79+キハ180-45+キロ180-4+キロ180-12でした。
残念なことに最後に乗車したキハ180-40も、この回送で幡生行きになってしまいました。
キハ180-40、最後に思い出をありがとう。そして、さようなら…。

1月5日。残されたキハ181系が寂しく留置されていました。
この車両、実はキハ181-12です。サボなどが外されていたことから「運用はないな…」と思っていましたが、このあと後藤へ
回送されて国鉄色復元整備が行われ、津山の扇形機関庫で保存されることになりました。
これ以降、団体臨時列車でキハ181-47・48、キハ180-36・77が使用されましたが、私は撮ることができませんでした。
平日の昼間にして、その時期は受験の関係で謹慎中だったので…。
実はある目的のために、今年のお年玉はすべて貯めていました。
噂でラストランがあるとのことだったので、それに向けて貯めていたわけです。
キハ181系ラストランツアーの詳細・申し込み時間が発表され、発売日に申し込んだのですが予約がなんと成功。
さらに父から支援金が支給され、楽に行けるようになりました。
申し込みが完了したのでそれに向けて受験勉強をとにかく頑張り、無事合格。そして謹慎解除。
A4編成の廃車回送で一気にテンションがダウンしながら、その日が来ました。
2月26日。キハ181系の「ラストステージ」がついに始まりました。
しかし、私は胸やけと格闘しながらツアーを満喫することになります・・・。
ツアーに参加するためいったん改札を出てからツアー配布品や弁当をもらって再入場し、ホームへ。
キハ181-48の代わりにキハ181-49が入っていましたが、私は5号車、キハ180-36に乗車。
そして7時28分。京都ー米子間、約7時間の長旅の始まりです。
大量に押し寄せた撮影者を車内から見送り、保津峡、亀岡などを通過。
日吉駅到着の段階でなぜか胸やけの痛みが完治しているのがわかり、自然治癒力でもあるのか?と思う私。
そして豊岡、佐津を過ぎ、山陰本線最大の名所を人生初体験!
餘部橋梁を通過。眼下に雄大な車窓が広がりました。
餘部を初めて通った私。さらにキハ181系で行けたのはよかったな。

東浜にて撮影。人が多すぎて微妙な感じでしたが、まあ撮れただけでも幸いでしょうか。

鳥取。わずかの停車時間でしたが、ここでも多くの撮影者が出迎え、ツアー客も撮影していました。

そして浜村に到着。
先端部へ行ったのですが、こんなふうにしか撮れませんでした。というわけで…

後ろへ行ってみた結果がこんな感じ。
ケツ打ちですが、ようやくまともな写真を撮ることができました。

次の停車駅、青谷。
これで先頭からもまともに撮ることに成功。これで一安心…。

青谷であまり見ることができなかったら屋根上のラジエーターを撮影。
初めて見ましたけど、これはすごい…

最後の停車駅、由良では新旧はくと同士の並びが実現。
編成写真は狙うも「藻」のような物体が写ってしまったので今回は割愛。
そして「ありがとうキハ181系」号は7時間の長旅を終え、米子駅に到着。
米子のファンたちの歓迎を受けながら…。

キハ181が洗浄台線に入ったため撮影は無理と思っていましたが…EF64とキハ181と大山のコラボ。
こんな写真も撮っていたんですね。写真をあさっていたら見つかった奇跡の1枚です。

米子駅に近い留置線に来たので撮影。キハ181-49側。
今回のツアーに入ったことで、一気に撮影枚数が増えた気がします(苦笑)

反対側も。やはりヘッドマークがないと寂しいですね…。

夜にもう一度。こうして駅照明に照らされるキハ181系というのも私にとってはやはり新鮮です…。

キハ47の普通が入ってきたので3本並びを。
元同僚たちに囲まれるキハ181は何を思う…。
そしてホテルに戻り、11時半に寝て6時に起床。
キハ181系の最後の1日が始まりました。

米子で朝を迎えたキハ181系。薄暗い空の下…。
そしてしばらくすると作業員がキハ181系のもとへ。
床下で何をしているのだろう…と思った次の瞬間!
ダダダ、ダダダ、ダダダダ、ダダダダ、グォォォォォォン!
という音とともにキハ181系のエンジンが始動。そして副票を取り付けて貫通扉を閉めた瞬間に発電用エンジンが唸りました。

そしてアイドリング。
凄まじい爆煙を天に吹きあげていました。

アイドリングもドア開閉試験も終わり、準備完了!
そして私は離脱。

米子駅に入ると驚愕の光景が…。
末期色の115系食パン電車とキハ181系の対面でした。

米子駅停車中の「ありがとうキハ181系」号。
米子だけで大量に撮影したため、これで格闘する必要性はほとんどなくなったわけで…。
そして7時55分。キハ181系の最終運用、列番9014D、「ありがとうキハ181系」号、京都行きが米子駅を発車。
警笛を鳴らしながら突き進み、泊に到着。

泊ではあまり撮る気がなかったので適当に。
そして鳥取、浜坂を過ぎ、いよいよキハ181系車両として最後の「餘部鉄橋」通過!
日本海側に雄大な景色が広がりました。これはすごい!
餘部を過ぎて佐津を発車、豊岡に到着。
豊岡ではスタフを公開してくれたり運転台を見せてくれたりとサービス満載でした。
八鹿では屋根を観察したりして、和田山でお茶を買って…船岡に到着。

船岡。かなりきれいに撮れて、さらに迫力もあります!
これはいい場所でした。
そして徐々に京都の町並みが見え、京都に到着。
京都でもかなりの撮影者が集結し、シャッターを切っていました。
最後に警笛を鳴らして発車。追いかける途中でキハ181系を抜かし、向日町で撮影。
これでキハ181系の旅客運用が終了し、ついに完全引退となりました。
そして…「ありがとうキハ181系」号が運転されて約1カ月後の2011年3月24日。
最後の大役を務めたキハ181-49、キハ180-22、キハ180-77、キハ180-49、キハ180-36、キハ181-47が、ついに
「旅立ちの日」を迎えました。
最後は廃車回送らしく、蛍光灯むき出しで来るのかと思っていた予想は見事に外れ…

なんと特製ヘッドマークやサボ、方向幕を装備し、運転されました。
最後の最後に特別装飾が施されたキハ181-49以下6両。現場の方々にも愛されていたことがこれでよくわかりました。
キハ181-49、キハ180-22、キハ180-77、キハ180-49、キハ180-36、キハ181-47、いろんな思い出をありがとう…。
24日(木)は、塚本下り勾配を鈍足で通過したため、あまり迫力はありませんでした…。
翌日に控える正真正銘の「ファイナルラン」では、是非フルノッチで来てほしいと願うのでした…。
これで残るは6両。24日にムコソを見たとき、すでに方向幕などが抜かれた哀れな姿で留置されていました…。
3月25日、私が最も好きだったキハ181-48、キハ180-42、キハ180-48、キハ180-41、キハ181-45、キハ181-27も
ついに「旅立ちの日」を迎えました。
最後の廃車回送ではこれで形式消滅するキハ181系を撮影しようと大勢の撮影者が各駅・沿線に集結。
各駅では別れを惜しむかのように警笛を鳴らし、14時32分、大阪駅を発車。
そして私を含めた多くの撮影者が待つ塚本の手前の淀川の鉄橋を出る直前、キハ181系の姿が見えると同時にヘッドマークが
見え、フルノッチ走行であると分かる音が聞こえて…
最後のキハ181系6両がフルノッチで塚本駅を通過。
最後の最後に先頭を務めたキハ181-48。特製ヘッドマークが装備され、さらにフルノッチ走行。
この時はいつも以上に輝いて見えました。
最後の最後に先頭を務めたキハ181-48、そして何度も撮影出来たキハ181-27。
この「はまかぜ」末期の定番タッグで最後の走行を務められた彼らはラストランには充当されなかったものの、幸せものでした。
キハ181-48,27、いろんな思い出をありがとう。そして、さようなら…。
-あとがき-
2010年6月。なんとなくキハ181-22を撮ったのが私がキハ181系を追いかける長い9か月のスタートでした。
最初は特に愛着なんかなかったのに、撮影している間にいつの間にかキハ181系の虜になっていた私。
外観の優雅なデザイン、巨大なラジエーター、車外では大きい音がしているのに車内では騒音をほとんど感じず、
心地よいディーゼルサウンドしか聞こえない圧倒的な静粛性、あの勇ましい加速時のサウンド、さらにフルノッチでの凄まじい
サウンド、そして最近の新型気動車では絶対にない、いいにおいのする排気ガス。これらはキハ181系最大の魅力でした。
エンジンもデザインも、何もかもがよかったキハ181系。そんな魅力が詰まったキハ181系を本当の意味で好きになったのは、
運用最末期になってからでした。
そういう思いの結果、最後のキハ181系ラストランツアーでは「撮影」ではなく「乗車」を選択。
あまり長い間乗ることができなかった私にとっては最後に15時間も乗れたこと、そしてエンジン始動を見物出来たりしたことは
本当によかったな、と感じています。
ラストランでは乗車してDML30HSのサウンドを心行くまで堪能し、さらに最後の廃車回送もちゃんと見送ることができた私。
今になって「キハ181系という車両と出会えて本当に良かった」と思っています。
キハ181系を追いかけた9カ月はあっという間に過ぎ去って、気づけばもう終わってしまいました。
最後の特製方向幕の「栄光は永遠にキハ181系/Is the glory forever Series181」には本当に感動しました。
キハ181系の数々の栄光は、残された2両の保存車が後世に、永遠に語り継いでいくことでしょう。
キハ181系、長い間本当にありがとう!そして、さようなら…。
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