映像集、できました。

30系にさよならヘッドマークがついて以降、写真と並行して動画も撮影していた私。
8月25日から9月29日までの日曜日に行われた固定運用、「日常の中の非日常」といった姿が印象的だった平日朝夕ラッシュ時の光景、車庫での出庫点検、そして2編成で異なる結果となったラストラン、廃車陸送…
数々のシチュエーションで撮影した映像を繋ぎ、さらに貴重映像も少し封入しだ2時間の総集編映像ができました。
総再生時間が2時間と長いため、時間に余裕があるときにゆっくりとご覧いただけると幸いです。
一番上の画像は「サービスマネージャーのよろこブログ」向けの取材が行われた11日に撮影したものです。
「大日」「八尾南」…やっぱり似合ってますな。珍幕もいいけど、やっぱりベターなもののほうが一番かもしれませんね。




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フォトギャラリー
もう二度と本線上で見ることができる機会がなくなってしまった30系ですが、「さよなら30系 フォトギャラリー」と題し、谷町線全26駅において、30系の前身である旧7000-8000形が1967年に登場してから約46年間、今まで職員さんらが撮影した写真を掲示しています。
(※掲示された写真は10月6日のラストランで使用された3045の車内に掲示されていたものの一部です)

掲示枚数最多の東梅田駅。
今まで活躍した5路線すべての30系の写真に加え、旧7000-8000形の画像まで。枚数が多いだけあって充実しています。
(掲示開始直後に撮影したものですが、現在は掲示面積が削減された代わりに天井に照明がついています)

他の駅は最低2枚から6枚程度。
谷町四丁目駅のように2カ所に掲示されている場所もありますが、基本的に1カ所だけ掲示されています。
どこかで見覚えのある写真や、しれっと色々とんでもない光景を写した写真まで盛りだくさん。
エンジョイエコカードを買って、全26駅を巡られて見てはいかがでしょう。面白い話を聞くことができる…かも?

(※掲示された写真は10月6日のラストランで使用された3045の車内に掲示されていたものの一部です)

掲示枚数最多の東梅田駅。
今まで活躍した5路線すべての30系の写真に加え、旧7000-8000形の画像まで。枚数が多いだけあって充実しています。
(掲示開始直後に撮影したものですが、現在は掲示面積が削減された代わりに天井に照明がついています)

他の駅は最低2枚から6枚程度。
谷町四丁目駅のように2カ所に掲示されている場所もありますが、基本的に1カ所だけ掲示されています。
どこかで見覚えのある写真や、しれっと色々とんでもない光景を写した写真まで盛りだくさん。
エンジョイエコカードを買って、全26駅を巡られて見てはいかがでしょう。面白い話を聞くことができる…かも?




忘れられない思い出
地元を走っていた車両であるがゆえに、長い間お世話になった30系にはいろいろな思い出があります。
色々と思い出があった私なのですが、さよならヘッドマークが掲げられてからのこと、八尾車庫の方々のご厚意のおかげで、最後に忘れられない思い出を作ることができました。

32613と3049が並び、3049が生涯最後の八尾車庫からの出庫を行った10月3日のこと。
停車後に職員さんが乗務員扉の落とし窓を開けて「幕回そか?」と待機していた私と知り合い、居合わせた撮影者にアプローチ。
「何がいい?」と聞かれ、「臨時」「喜連瓜破」「八尾南」をリクエスト。ちょっとした非公式撮影会が始まりました。
「臨時」幕を出すと、最後の最後に臨時列車として32613に最後のお別れをしに来たような絵に。
前照灯も点灯し、ラストランにふさわしい最後の晴れ姿となりましたが、結局本線上で実現することはありませんでしたね…。

「喜連瓜破」幕。
4文字幕…痺れます。

ド定番中のド定番の「八尾南」幕。
撮影会ならやっぱりド定番の幕も大事でしょ…というわけでリクエスト。珍幕だけじゃいけない。
こうした非公式な撮影会は何度か職員さんのご厚意によって開催され、その都度楽しませていただいたほか、最後の最後に心のどこかで少しでも望んでいたことが叶い、忘れられない思い出を作ることができました。
度々非公式ながら撮影会を開いてくださった職員さんには、この場を借りてお礼を申し上げる次第です。
しかし、3日連続で30系を2本並べたり、最後の八尾車庫入線で新旧共演させたり…
八尾車庫の方々は今まで面倒を見てきた車両ということもあって、30系に対して相当な愛着や思い入れがあったのでしょうか。
職員さん方全員とは言いませんが、それでも愛されて最期を迎えられたというのは本当に幸せなことだな、と思った次第です。

色々と思い出があった私なのですが、さよならヘッドマークが掲げられてからのこと、八尾車庫の方々のご厚意のおかげで、最後に忘れられない思い出を作ることができました。

32613と3049が並び、3049が生涯最後の八尾車庫からの出庫を行った10月3日のこと。
停車後に職員さんが乗務員扉の落とし窓を開けて「幕回そか?」と待機していた私と知り合い、居合わせた撮影者にアプローチ。
「何がいい?」と聞かれ、「臨時」「喜連瓜破」「八尾南」をリクエスト。ちょっとした非公式撮影会が始まりました。
「臨時」幕を出すと、最後の最後に臨時列車として32613に最後のお別れをしに来たような絵に。
前照灯も点灯し、ラストランにふさわしい最後の晴れ姿となりましたが、結局本線上で実現することはありませんでしたね…。

「喜連瓜破」幕。
4文字幕…痺れます。

ド定番中のド定番の「八尾南」幕。
撮影会ならやっぱりド定番の幕も大事でしょ…というわけでリクエスト。珍幕だけじゃいけない。
こうした非公式な撮影会は何度か職員さんのご厚意によって開催され、その都度楽しませていただいたほか、最後の最後に心のどこかで少しでも望んでいたことが叶い、忘れられない思い出を作ることができました。
度々非公式ながら撮影会を開いてくださった職員さんには、この場を借りてお礼を申し上げる次第です。
しかし、3日連続で30系を2本並べたり、最後の八尾車庫入線で新旧共演させたり…
八尾車庫の方々は今まで面倒を見てきた車両ということもあって、30系に対して相当な愛着や思い入れがあったのでしょうか。
職員さん方全員とは言いませんが、それでも愛されて最期を迎えられたというのは本当に幸せなことだな、と思った次第です。




本当の「お別れ」
10月12日、3049の廃車回送をもって本線上からその姿を消した30系。
本当の意味での「お別れ」の時。16日から18日の深夜にかけて、全車が解体工場へ搬出されました。

搬出当日の夜。
搬出を前に、正門前で最後の時を待つ3549・3449の姿がありました。

谷四で点検中の3549号車。
3545号車・3445号車の搬出とは異なり、ありとあらゆるものが剥ぎ取り尽くされた状態で搬出されました。

3549号車の後ろには3449号車が。
中間車ながらこの車両には何度も乗ったことがあり、10月4日の最終運用でもこの車両に乗車した、思い入れのある車両でした。

解体工場前で1枚。兼六さんのトラックの位置が前すぎて正面を撮ることはできませんでしたので、横から。
特徴的なパーツがなくなったその顔は、まるで亡霊のような顔でした。
搬入は動画で撮影したので写真はありません。

そして、最終日。
涙雨の降る中、3049号車・3349号車が搬出されました。

トレーラーに引っ張られる3049号車。
3045号車・3549号車と同様に、剥ぎ取れる部品はすべて剥ぎ取った状態で搬出されました。

点検中に単体で1枚。

しばらくして、解体工場に無事到着。
トレーラーの明かりに照らされ、亡霊のような顔が暗闇の中に浮かび上がっていました…。

そして、解体工場敷地内に搬入。
最後に搬入された3049号車が完全に姿を消すところをこの目でしっかりと見届けました。
これで30系の廃車陸送はすべて終了し、谷町線を走った冷房化改造車全13編成78両は完全にこの世から消滅しました。
私自身がやれることはすべてやり切りました。もうこれで、思い残すことは何一つとしてありません。
今までお世話になった30系の最期の姿を、悔いることがない状態で見届けることができて、本当によかったと思っています。
今まで長い間お世話になりました。事故を起こすことなく安全に運んでいただき、本当にありがとうございました。
そして、さようなら、「谷町線の30系」。今まで長い間、本当にお疲れさまでした。


【予告】

30系ステンレス車の引退を記念して、撮りためた映像を中心として構成、制作した長編動画「ありがとう 30系ステンレス車」。
その続編のような形で、今回の完全引退を記念し、さよならヘッドマークが掲出されて以降に撮影した映像を中心に、貴重映像も一部盛り込んで構成した映像集、「"ありがとう。"30系」を、現在制作中です。
またしても長時間映像になってしまいそうな勢いで目下制作中です。お楽しみに。
本当の意味での「お別れ」の時。16日から18日の深夜にかけて、全車が解体工場へ搬出されました。

搬出当日の夜。
搬出を前に、正門前で最後の時を待つ3549・3449の姿がありました。

谷四で点検中の3549号車。
3545号車・3445号車の搬出とは異なり、ありとあらゆるものが剥ぎ取り尽くされた状態で搬出されました。

3549号車の後ろには3449号車が。
中間車ながらこの車両には何度も乗ったことがあり、10月4日の最終運用でもこの車両に乗車した、思い入れのある車両でした。

解体工場前で1枚。兼六さんのトラックの位置が前すぎて正面を撮ることはできませんでしたので、横から。
特徴的なパーツがなくなったその顔は、まるで亡霊のような顔でした。
搬入は動画で撮影したので写真はありません。

そして、最終日。
涙雨の降る中、3049号車・3349号車が搬出されました。

トレーラーに引っ張られる3049号車。
3045号車・3549号車と同様に、剥ぎ取れる部品はすべて剥ぎ取った状態で搬出されました。

点検中に単体で1枚。

しばらくして、解体工場に無事到着。
トレーラーの明かりに照らされ、亡霊のような顔が暗闇の中に浮かび上がっていました…。

そして、解体工場敷地内に搬入。
最後に搬入された3049号車が完全に姿を消すところをこの目でしっかりと見届けました。
これで30系の廃車陸送はすべて終了し、谷町線を走った冷房化改造車全13編成78両は完全にこの世から消滅しました。
私自身がやれることはすべてやり切りました。もうこれで、思い残すことは何一つとしてありません。
今までお世話になった30系の最期の姿を、悔いることがない状態で見届けることができて、本当によかったと思っています。
今まで長い間お世話になりました。事故を起こすことなく安全に運んでいただき、本当にありがとうございました。
そして、さようなら、「谷町線の30系」。今まで長い間、本当にお疲れさまでした。




【予告】

30系ステンレス車の引退を記念して、撮りためた映像を中心として構成、制作した長編動画「ありがとう 30系ステンレス車」。
その続編のような形で、今回の完全引退を記念し、さよならヘッドマークが掲出されて以降に撮影した映像を中心に、貴重映像も一部盛り込んで構成した映像集、「"ありがとう。"30系」を、現在制作中です。
またしても長時間映像になってしまいそうな勢いで目下制作中です。お楽しみに。
さよなら、30系
10月6日をもって引退した30系は、イベント終了後に3045の全車が解体工場へ搬出。
そして、大日検車場に廃車待ちの状態で留置されていた3049も、10月12日…ついに森之宮へ回送されました。

前日の11日の昼間に廃車準備作業を行い、放送装置を撤去。
これで、一般乗客を乗せて走ることはもう二度とできなくなり、さよならヘッドマークが真の「お別れ」を意味するものへと変わりました。

そして17時44分。3049は係員の手によって最後の起動。
幕も「白幕」から「回送」にセットされ、これで回送準備は終了。

あるべきもの・・・放送装置を失った姿。
こうして見ると、何か大事なものがないということがよくわかるかと思います。

眠る後輩に囲まれて、旅立ちの時を静かに待っていました。

そして夜…3049は多くの撮影者に囲まれ、森ノ宮に到着。その数なんと約40人…。
15秒ほど停車した後、森之宮検車場へゆっくりと動き出しました。
これで30系は谷町線から姿を消し、もう二度とその姿を見ることはできなくなってしまいました。
次に姿を見せるときは、解体工場へと搬出される「無残な姿」…。

そして、大日検車場に廃車待ちの状態で留置されていた3049も、10月12日…ついに森之宮へ回送されました。

前日の11日の昼間に廃車準備作業を行い、放送装置を撤去。
これで、一般乗客を乗せて走ることはもう二度とできなくなり、さよならヘッドマークが真の「お別れ」を意味するものへと変わりました。

そして17時44分。3049は係員の手によって最後の起動。
幕も「白幕」から「回送」にセットされ、これで回送準備は終了。

あるべきもの・・・放送装置を失った姿。
こうして見ると、何か大事なものがないということがよくわかるかと思います。

眠る後輩に囲まれて、旅立ちの時を静かに待っていました。

そして夜…3049は多くの撮影者に囲まれ、森ノ宮に到着。その数なんと約40人…。
15秒ほど停車した後、森之宮検車場へゆっくりと動き出しました。
これで30系は谷町線から姿を消し、もう二度とその姿を見ることはできなくなってしまいました。
次に姿を見せるときは、解体工場へと搬出される「無残な姿」…。



